あの銘柄はどこからやってきたのか? 業績だけではわからない、企業の「氏素性」から見えてくるもの
《東京証券取引所が立つ日本橋・兜町。かつての活気は、もうない。だがそこは紛れもなく、日本の株式取引の中心地だった。兜町を見つめ続けた記者が綴る【兜町今昔ものがたり】》
長期にわたる「連続増益」「連続増配」企業を投資対象の俎上に載せ、吟味の対象とすることが中長期スタンスの株式投資の王道だと筆者は考えている。だが、株式市場と付かず離れずの50年近くを過ごしたいま、兜町の住人たちに教えられた、企業の「氏素性」を知ることも投資を考える上で重要だと認識している。
「氏素性」から企業を知る
例えば三菱鉛筆<東証プライム:7976>。筆記具の代表的なメーカー。文字・文章をパソコンで打つ時代になっても、常に机の上には鉛筆・シャープペンシル・ボールペンが置かれている。ちなみに三菱鉛筆は、前期(2022年12月期)まで13期連続の増配であり、今期も増配計画の企業。
創業者は故・眞崎仁六(まさき・にろく)氏。1878年(明治11年)のパリ万博で鉛筆を知ったという。「日本でも作れないものか」と数々の失敗を経ながら開発に没頭。1887年に、眞崎鉛筆製造所の設立に至った。そんな眞崎鉛筆が世の中に広く知られるようになったのは、1901年。当時の逓信省(現在の総務省)から「御用品(局用鉛筆)」として採用されたことだった。
苦節20余年。仁六翁は「この感動を後世に残したい」と、社章をいまなお続く「三菱」にした。なぜ3つの菱形を組み合わせたのか、その理由は、「局用鉛筆が芯の濃さに応じ、一号・二号・三号に分かれていたこと」であり、「眞崎家の家紋が三鱗(みつうろこ)だったこと」と語り継がれている。ちなみに旧三菱財閥が三菱マークを商標登録したのは1903年というから、それに先立つこと15年前の話だ。三菱鉛筆は俗に言う「三菱グループ」とは、別物なのである。
独特のエビ茶色の鉛筆「ユニ」の発売は1958年だが、ユニブランドはいまでは三菱鉛筆のあらゆる製品のコーポレートブランドになっている。「ユニ=uni」の語源は「ユニーク=unique」。そんな(時代の半歩先を行く)姿勢はいまでも健在。決算資料を読み込んでいると、こんな表現に出会った。「プラスチックの代替材料として紙をチューブの主原料としたボールペンのリファイル開発に成功……従来品比プラスチック約88%削減」「使い終わった鉛筆を棒状肥料やバイオマス発電とし再利用する実証実験を経て、再利用しやすい国産ヒノキ材からフォレストサポーター鉛筆を開発」などなど。
こうした氏素性を知った上で、業績動向を調べるのも一法と思う。
企業誕生の裏に出会いあり
オムロン(東証プライム:6645)の血圧計が、累計で3億台を突破したという。1230億円余りを売り上げる一般医療分野で、血圧計は吸入器と並ぶ両輪。
創業者の故・立石一真氏は「立石名言」を残しているが、その一つに「幼い日々に思う存分遊んでこそ、人脈は広がり、ロマンは育つ。その心の襞が想像を生み出す基となる」がある。それと直接的につながるかどうかはわからないが、立石氏の起業は学友との「妙縁」に求められる。1921年、熊本工業・電気科を卒業し県庁の電気技師というお堅い社会人生活をスタートした立石氏が、井上電機製作所に転じたのは学友の紹介だった。
転職先では、アメリカで開発された「誘導刑保護継電器」の国産化と取り組んだ。これがオムロンの前身、立石電機製作所の設立(1933年)に繋がる。レントゲン撮影に際し最も肝心なのが、タイマと呼ばれる装置。フィルムに適正な黒化度を与えるもので、「写真の解析度や対象度を害さない」役割を果たす制御機器だ。オムロンの前身は、このタイマ搭載のレントゲン撮影機でデビューした。
こうした経緯なくして立石氏が堅調の電気技師の座にとどまっていたら、今日のオムロンはなかったかもしれない。
経営者と大株主の氏素性
MonotaRO(東証プライム:3064)は10期連続の営業増益で平均増益率17.2%。一物一価で工場向け間接材をECで販売している。
原点は住友商事内の社内企業。2000年に住友商事とアメリカ最大の工場向け間接資材企業グレンジャー社の共同出資で、日本版グレンジャー社として立ち上がった。当初のスタッフは5名。現会長の瀬戸欣也氏、現社長の鈴木雅也氏もスターティングメンバー。瀬戸氏は「プロの経営者」と称され、この間11社のベンチャー企業を設立、その一方でLIXILグループのCEO兼社長を務めてもいる。
「プロの経営者」が率いるという角度も企業を見極める際にポイントになるが、東証グロース市場に新規公開を果たしてくる企業に接する際、私は大株主に注目する。住友商事が名を連ねていないかどうか、だ。住友商事には「起業家」を醸成する土壌が歴史的にある。正確に数えたわけではないが、「住商出身」の経営者と多く出会う。
起業家になるために生まれた男
ビケンテクノ(東証スタンダード:9791、ビルのメンテナンス事業を展開)の創業者会長・梶山高志の経歴を知ると、「起業家・企業家になるために生まれてきた」という感を強くする。
学生時代の下宿仲間と大阪市内のトイレ掃除を請け負ったのが始まり。あるビルの共用部分でポリッシャー(電動掃除機)を回していた人に出会い、ビルメンテナンス事業を知った。教えを請い、ビルの清掃管理に足を踏み入れた。1963年のこと。高度成長期の入り口時代とはいえ、大学生がビルの清掃管理というのには「起業家」スピリットを感じる。
そして、ビジネスの拡充法には「企業家」スピリットを覚える。 例えば、JRA(日本中央競馬会)。直営で清掃管理をしていたが、組合問題で暗礁に乗り上げた。そんな情報をキャッチすると「アウトソーシング」を持ち掛け、いまなお続く事業の「柱」を手にした。
さらに大阪万博。目玉のアメリカパピリオンのメンテナンスを担った。清掃用の泡状洗剤を噴射する機器をアメリカから輸入し、備えた。「スタッフもプロじゃなくては駄目だ」と平日(競馬場の定休日)に、バスでピストン輸送し仕事に臨んだ。仕事ぶりが駐日大使に認められ「何か私ができる恩返しはないか」と声をかけられた。それが伊丹・羽田空港の仕事を得るキッカケになった。清掃・メンテナンスに加え、機内食のケータリング会社から皿洗いの仕事を受注。それがサニテーション(食品工場の衛生管理事業)に繋がっていった。
経営者が買われた銘柄
株式市場には「経営者を買え」という言い伝えがある。
ロート製薬(東証プライム:4527)が痔の治療薬「ボラギノール」の天藤製薬を買収した。報に接した際に、同社社長・杉本雅史氏の有言実行だな、と受け止めた。1899年の創業来、杉本氏は初の外部からの招聘社長。武田薬品工業で2つの子会社の社長を経て2019年にスカウトされ、早々に社長に抜擢された。大衆薬に関し「主力足りうる商品」に一家言を有した御仁。正直、ボラギノールには驚かされたが、杉本体制開始以降、株価は1000円幅上値に移行している。
もっと長いスパンで捉えると、詳細は省くが、長谷工コーポレーション(東証プライム:1808)も「経営者が買われた」企業と言える。バブル崩壊後13円まで下落した株価(1999年1月)を時価1600円水準まで引き上げたのは、現会長の辻範明氏だと言って過言ではない。ADR再建という状況に追い込まれた(同年5月)長谷工を、「上の人が次々と退職してしまった結果」(辻氏)、営業担当取締役(同年6月就任)部隊長として、今日の「マンション建築首位」の座に引っ張り上げてきた。
人間と同じく、企業もまた、それぞれが異なる道を歩んで今に至っている。投資対象銘柄を絞り込むにあたり、その企業の「氏素性」を知ることも、「投資は自己責任」を全うする道ではないだろうか。