社長が逮捕。副社長は姿を消し… 東証に投資家が乗り込んできた日

千葉 明
2022年3月10日 15時30分

《東京証券取引所が立つ日本橋・兜町。かつての活気は、もうない。だがそこは紛れもなく、日本の株式取引の中心地だった。兜町を見つめ続けた記者が綴る【兜町今昔ものがたり】》

兜町はかつて一大金融街だった

 「日本の資本主義のメッカ」とされる東京証券取引所(以下、東証)は、東京都中央区日本橋にある。通称「兜町(かぶとちょう)」と称されるエリアの最大の建屋である。東証の現住所は「〒103-0026 東京都日本橋兜町2-1」とあるが、兜町は「丁目」の設定がない単独町名。つまり兜町には1丁目・2丁目・3丁目等々は実体的には存在していない。

 兜町はかつて、一大金融街だった。2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公で、「日本の近代経済の父」とされる故・渋沢栄一翁が興した初の銀行「第一国立銀行」(現・みずほ銀行の礎)の本店所在地だった。銀行の支店が林立し、東証を取り巻くように証券会社が集積していた。1980年代にはシティ(英ロンドン)・ウォール街(米ニューヨーク)・中環(香港)などと並び、世界屈指の金融センターと称された時期もある。

 だが、兜町は大きく変貌を遂げている。いまは、兜町に支店・支所などを構える銀行はごく僅かに過ぎない。大方は「隣街」といえる丸の内・大手町の最新ビルに、拠点を移している。そして、兎にも角にも、集積していた証券会社の多くがその姿を消した。電子取引の時代に移行し、証券会社も兜町に拠点を構える必要がなくなったのだ。

 野村證券が象徴的な例といえる。いま二つの本社が存在する。ひとつは、長らく日本橋の傍らに建ち「軍艦ビル」の異名を取った「日本橋本社」。進み始めている「日本橋再開発」の中で、豊富に蓄蔵された内外著名作家による高額な絵画や美術品を活かし「芸術館」に変貌する方向が検討されている。もうひとつの本社は、アーバンネット大手町ビルに入る「大手町本社」。野村の本社機能は既に大手町に集約されている。

いまとは全く異なる「しま」

 兜町の名称の由来は諸説ある。曰く、「界隈にある神社(現在の兜神社)に源義家が奥州征伐から凱旋した折に、自身の兜を神社に納めて平和を祈ったことに由来する」。曰く、「俵藤太(たわらのとうた)が平将門に打ち勝った際に、将門の兜を埋めた場所」──等々。

 兜町は「しま」と呼ばれることがある。企業小説の大御所のひとりとされる故・清水一行氏が処女作『小説 兜町』(1966年)で「しま」のルビをあてたのが由来とされる。だが、「なぜ、“しま”なのか」に関する明確な答えは残っていない。おそらく「兜町=特異な島」をもじった結果と拝察するが……。

 私が初めて兜町に足を踏み入れたのは、いまから半世紀近く前の1973年。日本短波放送(現・ラジオ日経)の「兜倶楽部(東証に常駐する記者クラブのこと)」詰め記者としてのことだった。兜町はいまとは全く様相・雰囲気が異なる「しま」だった。

 東証内の株式取引の立ち合い現場は、喧噪そのもの。業種別に分けられた「ポスト」があり、ポスト別に株式売買の場所が定められていた。楕円形に仕切られ、売買注文を仲介する東証所属のスタッフと「場立ち」との間で取引が行われていた。場立ちとは、各証券会社から送り込まれ届いた売買注文を実行する面々だ。

 喧噪云々と記したが、実際、場立ちと仲介スタッフの間の声はなかなか確認できないほど騒々しかった。そこで、例えば新日鉄(当時)の場合は場立ちが手を高く掲げ、「手の甲(鉄鋼の意味)」を叩き、3本指(中指・薬指・小指)を内側にして上下に小さく振れば3,000株買い(外に向けて振れば3,000株売り)、大きく振れば3万株(同)、といった具合に独特の注文方法が執られていた。

 取引が成立する度に、立ち合い所内の側面にポスト別に備え付けられた黒板に、各銘柄の値段がハクボク(チョークのこと)で書き換えられる。東証のスタッフがその任に当たっていた。私が東証の現場を初めて目の当たりにした年は、第一次オイルショックの時期。帝石(当時)などの産油関連株が日々急騰・急落を繰り返していた。ハクボクで値段を消しては書き換える面々は、全身がハクボクの紛だらけで真っ白になっていた。

社長が逮捕。副社長は姿を消し…

 ちょうどその頃、ある出来事が起こった。

 日本熱学工業。コインクーラー(100円単位で必要な時間だけ利用できる家庭用空調機)のリース事業で、一世を風靡した企業だった。1972年に上場。だが、2年余り後の74年8月に破産・実質倒産した。クーラーの普及で一般家庭でも買いやすい価格となり、リース業が成り立たなくなったため、と説明された。

 しかし、牛田正郎社長が特別背任罪(決算書偽造)で逮捕。実弟の副社長は姿を消し、青函連絡船の船内からカバンと遺書が見つかる、という奇怪な事件だった。

 そのときのことだ。同社の株主が大挙して東証に乗り込んできた。投資は自己責任とはいえ、居ても立っても居られない気持ちからの行動だったのだろう。記者クラブにもやってきた。「偽装を見抜けなかったのか」と。その光景に、思わず呟かざるをえなかった。「これが資本主義のメッカか……」

 ちなみに、この事件を報じた某大手経済週刊誌の表紙は、日本熱学工業の本社の写真。同社の担当記者は60歳早々に亡くなってしまったが知人だった。「俺はトルコ風呂(当時)で泣いたよ。為にする偽装決算書など見抜けるものじゃない……」という言葉を、本稿を書いていて思い出した。

兜町を知り尽くす語り部

 好き嫌いで語る類の話ではないだろうが、かつての兜町・東証に活気を覚えたことは事実である。

 いまの若い証券関係者はご存じないかもしれないが、東証では、寄り付きと大引け時に正面の壇上で行われる「撃坼(げきたく)売買」という風習というか儀式が根差していた。代表的な銘柄(例えば、東証の家主でもある平和不動産など)を、仲介担当者が複数の売り手・買い手に対して適当と思える株価を大声で唱え、仮の商いを進めていく。売買量が一致した時点で拍子木を打ち(撃坼を叩き)商いを成立させる。恒例の催事は、1982年まで続いた。

 現在の東証(アローズ)は、1994年に閉鎖された立会場跡地に2005年9月に開設された。電子取引をフォローする「上場会社などの情報提供スペース」の役割を担っている。新旧兜町の変換期は、このタイミングに求められる。

 2018年2月、戦後の東証再開(1949年)と同時に兜町に開業した鰻屋「松よし」が70年の幕を閉じた。懐かしさから昼食時を過ぎたタイミングで、二代目店主の江本良雄氏の顔を拝見に行った。「昔はよかったね」と切り出すと、「とんでもない、大変だったよ」という答えが返ってきた。

 「午前の相場が良かった(値上がりした)昼は、場立ちたちが大挙して店に飛び込んでくる。後場も株価が『うなぎ上り』になることを祈ってね。鰻は前の日に埼玉から仕入れるんだ。だけど自分は相場など読めるはずがない。今日は場立ちが大勢やってきても、明日も上がる保証などない。仕入れ過ぎると翌日は売れ残りのヤマだ。そんな中でよく今日までやってこられたものだよ。それに、いまの電子取引が主体の兜町では、かつての客の10分の1がせいぜい。限界だよ」

 以来、江本氏とは会っていないが、いま、つくづく思う。江本氏は兜町の今昔を肌身で知る、語り部だろう、と。

【兜町今昔ものがたり】
[執筆者]千葉 明
[ちば・あきら]東京証券取引所の記者クラブ(通称・兜倶楽部)の詰め記者を振り出しに、40年以上にわたり、経済・金融・ビジネスの現場を取材。現在は執筆活動のほか、講演活動も精力的に行う。『野村証券・企業部』『ザ・ノンバンク』『円闘』など著書多数。
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