【株と平成と私】ライブドアショックとリーマンショックが教えてくれた真実

高野 譲
2019年4月10日 8時00分

《平成の株式市場を語る上で欠かせない「ライブドアショック」と「リーマンショック」。この2つの嵐を生き延び、今も第一線で活躍するプロトレーダーは、この30年をどのように振り返るのでしょうか。そして、多くの犠牲者を生んだ惨劇から得た教訓とは?》

刺激に飢えた若者と、血に飢えた平成の株式市場

IT革命によって誕生した若き市場参加者

日本国民の若年層にまで株式投資が広まったのは、株式売買委託手数料が自由された平成11年(1999)の「金融ビッグバン」以降だ。現在の主要ネット証券の誕生も、平成12年(2000)~18年(2006)の時期に集中している。

それと同時に、私たち個人投資家へ「インターネット取引」の提供が始まったのだ。

子猫が初めて目にした生き物を「ご主人様」と思うように、当時の個人投資家は、初めて目にする株式市場という生き物に人生を委ねることになった。なかでも若者に、その傾向が強かった。金融ビッグバン以前の株式市場は、大人の富裕層にしか開放されていなかった。

パソコン画面で株式を売買して差金を得る。その結果は残酷なまでに迅速で、勝った者はひと時の安堵を、負けた者は人生の数パーセントを失うことになる。

上下を繰り返す値動き、その勝敗の連鎖が刺激となり、頭数だけが多い第二次ベビーブーム世代の若者の脳みそを直撃した。彼らは、オンライン化された株式市場という新しい世界が日ごと、時間ごと、秒ごとに提示する可能性(チャンス)の虜になっていった。

新たな市場参加者である若者とIT革命がもたらしたリアルな刺激──それが平成の株式市場だった

2つのショックと伝説のディスコの閉店

だが残念なことに、何も知らない子猫は痛手を被ることになる。

当時は情報をインターネットで調べるという習慣がなく、調べたところで株式の記事は少なかっただろう。株式市場とはどういうものかといった情報に乏しく、株式の仕組み・リスク管理において個人投資家の知識の底上げ、つまり平坦化がまったく進んでいなかった。

ネット証券の一斉広告によって投資家の隅々にまで取引ツールが浸透し、テレビ等でトレードグランプリが催されるムーブメントの最中に、ライブドアショック(新興市場の崩壊)、後にリーマンショック(株式市場の崩壊)と〝事故〟が立て続けに起こった。

その2つのショックの間に起きた六本木ヴェルファーレの閉店は、若者の象徴が同時崩壊したことを示している。

  • 2006年1月 ライブドアショック
  • 2007年1月 ヴェルファーレ閉店
  • 2008年9月 リーマンショック

(※「ヴェルファーレ」は、当時「アジア最大」と謳われた東京・六本木のディスコ。バブル時代を象徴する聖地のひとつ)

トランス状態に陥った若者が見た白昼夢

ヴェルファーレが閉鎖する少し前の東京のクラブは、ユーロビートからトランスへシフトしている時期で、金・土のメインの時間帯はトランスになっていた。トランスとは、混沌とした精神世界を描く音楽だ。この先10年の波乱へと向かう社会を暗示していたに違いない。

私は、ホールで頭を振りながら、家のパソコン画面に映し出された現実について少し考えていた。大きな含み損を抱えたライブドア株と、その関連企業の株価のことである。

何も知らない若者は、お金を失うことにすら何ら抵抗がない。いや、現実を受け止めることしか為す術がなかったと言うべきだろうか。だが、持ち株の全てが上場廃止になった時、アルバイト先の廊下で一人めまいを起こしたことは、今でもハッキリと覚えている。

  • ライブドア       (2006年4月14日上場廃止)
  • ライブドアマーケティング(2006年4月14日上場廃止)
  • アドテックス      (2006年5月14日上場廃止)
  • ペイントハウス     (2006年7月9日上場廃止)

この経済的ショックは、所詮、若者に対処できる案件ではなかったのだ。あまりにも市場が大き過ぎた。そして、知らなさ過ぎた。私は、たった一人で日本国民全員を相手にしているような感覚を、その時、初めて味わったのだった。

株式ギャンブルという惨劇を生んだ元凶

気が付くと、新興銘柄にばかり目が行っている。

ライブドアショック以後、私を含めて多くの若者を夢中にさせたのは、上場廃止が決定した整理ポスト銘柄である。市場で売買ができる期間は原則1ヶ月となり、その間に株価が1円~10円、10円~50円と動くのだ。

資産が一夜にして何倍にもなり、半減もする。すでに株式投資ではなく、株式投機もしくは株式ギャンブルになっていた。しかも、投資に関する情報源は2ちゃんねるとヤフー掲示板の二本立て。つまり、個人の意見交換場しかない。

社会はインターネット取引を推進する一方で、インターネットでの情報提供の努力を怠ってしまったのだ。

平成の汚点と、次代へ警鐘を鳴らす決意

金融ビッグバンの時、株式市場の有り様がこのようになることを誰が想像できただろうか。この惨状は、投資教育の不足が産んだ平成の汚点に他ならない。平成の株式市場は若い血に飢えていたのだ。

私は、ライブドアショック後にしっかり働く道(=証券ディーラーになって失ったものを取り戻す)を選んだため、不真面目な一人の若者の更生に役立ったじゃないかと言われれば、それまでだ。

だが、若者を含めた個人に広く投資を促すならば、本来、自動車の教習所並みの「安全運転講習」が公的に整備されなければならないだろう。

よって、ここに私が書いている原稿と、それを掲載する当サイトの社会的意義は大きく、次の時代の担い手に向けて、とても重要なポジションだと思っている。

2大ショックが若者に与えた7つの教訓

ライブドアショックからリーマンショックの一貫した株価の壮絶な下落は、インターネット取引が初めて直面した歴史的な事件だった。そして、健全なるプレイヤーと投資環境についての教訓を、私たちに提示してくれた。

  • 個別銘柄の研究より、リスク管理に注力する
  • 個別銘柄の研究より、市況の変化を重んじる
  • 相場は個人の感情では動かない
  • 人気(ブーム)では株価を維持できない
  • 株式は資産形成の手段、それ以上でも以下でもない
  • 少ない金額で長期投資から始めるのが無難
  • 短期間の大勝は、後々の痛手につながる

投資家がコントロールできる唯一のもの

ここに挙げた2つのショックは、私にとって(そして、株式市場にとっても)耳の痛い「黒歴史」の一部分であるが、このような悲惨な出来事が起こらなければ、今の安定も無いのである。

戦争を二度と繰り返さないように悲惨さを後世に語り継ぐのと同じで、あえて声をひそめて話す理由はどこにもなく、風化させてはならない事柄だろう。

実際、あらゆる投資プログラムの検証(バックテスト)では、2つのショックを乗り越えられるか否かで判断されるようになった。より安全になり、知識の底上げもなされてきている。

しかしながら、未来に金を投じるこの世界で、投資家が唯一コントロール可能なものが「リスク」であることを忘れてはならない

[執筆者]高野 譲
高野 譲
[たかの・ゆずる]株式・先物・FX投資家、個人投資家8年と証券ディーラー8年の経歴を持つ。現在は独立し、投資関連事業を法人化、アジアインベスターズ代表。著書に『図解 株式投資のカラクリ』『株式ディーラーのぶっちゃけ話』『超実践 株式投資のプロ技』(いずれも彩図社)などがある。
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