かつて損失補填、いまや相場操縦… 証券会社に沁みついた体質は変わらない
《東京証券取引所が立つ日本橋・兜町。かつての活気は、もうない。だがそこは紛れもなく、日本の株式取引の中心地だった。兜町を見つめ続けた記者が綴る【兜町今昔ものがたり】》
証券会社による損失補填問題
1991年(平成3年)7月20日(月)、朝6時少し前に私は固まった。当時、日本短波放送(現・ラジオ日経)で毎週月曜日に6時45分までの45分番組で、柄にもなくニュースキャスターを務めていた。番組は、「今週の経済・金融関連予定」「当日の日経新聞の主要記事紹介・解説」「野村證券ニューヨーク駐在員との間で、週明けのニューヨーク市場状況解説」の3部構成だった。
引き金は、この日の日本経済新聞が一面の全面を割いて報じた「損失補填の現状」だった。黒地に白抜き文字で「日立・松下・トヨタなど」の見出しが頭に記され、「4大証券補てん先判明」「自己申告分 延べ187法人」「年福事業団53億円」と続いていた。
「事件」はバブル期相場の中で登場した、「営業特金」に起因する。
特金とは、信託銀行が企業・団体の資金を預かり株式や債券で運用する、特定金銭信託のことだ。特金は企業・団体が「運用方法」「銘柄」「投下資金」を特定し、信託銀行に運用を託す。信託銀行は証券会社に条件に基づいた運用を預託する。信託銀行に元利保証等の義務はない。
だが、バブル期に登場した「営業特金」は従来の特金と異なった。企業・団体と証券会社が直接契約し(極論すると、企業・団体名と証券会社名だけが記された白紙状態の契約書に基づき)、運用は証券会社が「一任勘定」で行っていた。こうした営業特金がバブル期から増加していたことは承知していた。
問題は「事前に損失補填を約束し勧誘することは禁止されていた」が、「事前に約定せずに生じた損失補填に対する明文化した規定がなかった」点だ。バブル相場当時から「大口投資家優先」という指摘はあったが、掻き消されていた。事実、日経のスクープで表面化した損失補填問題は、明確な規定のない「契約後の出来事」として処理されている。
私が固まったのは、「いよいよ来るべき時が来たな」と受け止めたからである。バブル相場の弊害の一面が表面化したな、と捉えたのだ。
遅ればせ、としか言葉が浮かばないが、この年(1991年)の後半から終盤にかけての「金融商品取引法」「証券取引法」の改正で、「営業特金禁止」「証券会社の一任勘定取引禁止」が定められた。金融当局すらも「バブル酒に酔っていた」とも指摘できる出来事といえる。
日本電産の躍進を見抜いた元証券マン
この事件が表面化した直後、日本証券業協会は「有識者懇談会」を設けた。議題は件の「損失補填問題」にどう対処すべきか、だった。大方の委員は、「証券会社に対する罰則規定を早々に執行するべし」と唱えた。
そんななかにあって、ただひとり「証券業界、証券会社に長らくの歴史の中で培養されてきた、悪しき体質が起こした事件であることは言うまでもない」としながらも、「補填を受けた企業・団体の姿勢も糾明されて然るべきだ」と声を大にして訴え続けた元証券マンがいた。三原淳雄氏である。
私は物書き業で「二人の師匠」に恵まれたと思っている。ひとりは、4年前に93歳で天に召された亀岡大郎氏。戦後に毎日新聞が大阪で発刊した夕刊紙「新大阪新聞」の経済部長も務め、株式ネタを得手とする経済記者だった。北浜太郎の名で連載した「アスの投資戦術」は、この記事で紹介される銘柄を知りたいと言って新聞を求める人の長蛇の列ができた、という逸話を残している。御大の口癖は「株がわかれば経済がわかる。経済がわかれば世の中が読める」だった。
そして、もうひとりの師匠が三原氏だ。大卒後、日興証券に入社。社内留学でノースウェスタン大学大学院に学び、ロサンゼルス支店長などを歴任。17年後に退社し、経済評論家として活躍した。幾多の著訳書を残しているが、私の本棚には『バフェット入門』『ピーター・リンチの株で勝つ』が収まっている。いまなお世界の株式市場に影響力を持つウォーレン・バフェット氏の投資哲学を記した一冊と、1977年から90年にかけて年率30%近いパフォーマンスを残し、「テンバガー(株価が10倍に化ける銘柄)」の発掘法を世に残した伝説のファンドマネージャーの投資術を解説した一冊だ。
三原氏からは色々なことを学んだ。例えば、「日本電産の永守(重信)さんと会って意気投合した。彼の時価総額経営には筋が通っている。フォローしておくといいよ」と言われた。20年余り前のことだ。おかげで日本電産をウオッチし続け、「時価総額拡大(現時点での時価総額は日本企業の中で23位前後)⇔有利なM&A」を幾多実行し、屈指の有力企業にのし上がる過程をフォローできた。
モーターで世界首位の永守・日本電産はいま、工作機械で首位に立つことに軸足を置いている。昨年8月、歯車工作機で世界3強の一角である三菱重工工作機械(現・日本電産マシンツール)の買収に続き、今年2月には工作機械業界の老舗・OKKを傘下に収めた。OKKは海外戦略に出遅れたことを契機に、収益悪化に陥り、東証の監理ポスト(上場廃止基準に該当するおそれのある銘柄を売買するポスト)に移行されていた。柿は熟れ切って落ちてくるのが一番旨い、とは言うものの、白馬の騎士はなかなか現れなかった。そこに手を差し伸べた(第三者割当増資引き受け)のが永守氏だった。いかにも永守氏らしい。
何故か。永守氏は「成長分野と位置付けている」として、EV(電気自動車)やロボット用減速機の増産体制を強めている。日本電産マシンツールは大型工作機が強み。さらにOKKを傘下入りさせたことで「中小型汎用機」のラインナップも充実した。斯界にはDMG森精機がトップ企業として存在感を示しているが、三原氏から聞いた「永守さんは、1番以外は皆ビリ、という考え方の人」という表現を思い出す。そこから「永守重信の新たなる野望」という原稿を書いた。
ちなみに、日本電産の株を2013年1月の初値で買い、現時点まで保有していると、分割・自社株買いを勘案した修正値ベースで5倍余りのパフォーマンスを残している。
“兜町”の懲りない面々
さて、そんな三原氏はいま、天国で苦笑いしているかもしれない。「変わらんな、証券会社は。もう一度、下天に戻らなくてはならないかな」と。
氏の古巣でもある(SMBC)日興証券で「不祥事」が発生した。限りなく黒に近い「不正株取引」である。
ブロックオファーと称される株取引がある。大株主が市場外でまとまった株を売却したいとき、証券会社が仲介し、投資家を集めて売却する取引である。取引価格は売却希望日の当該銘柄の終値が基準となる。
不正取引の病巣は、終値が大株主の希望価格より低い場合は「やめることができる」点だった。逆に言えば、「やめられては、仲介する証券会社は手数料収入を手にすることが出来なくなる」。そこで、日興証券のエクイティ本部の本部長以下数名が、「終値が値下がりしないように、大株主の売却希望値を下回らないように自己資金で買い支えた」というのだ。
事に及んだ担当者たちは、東京地検特捜部に相場操縦の容疑で逮捕された(後日、副社長も逮捕)。近藤雄一郎社長は(罪を認め)、既に謝罪している。だが伝えられる範囲では、逮捕された面々は「通常のブロックオファー」だと主張し、「(株式終了間際の)買いは、あくまで純粋な自社資金投資」としているらしい。他の証券会社は「外部から疑問を持たれるような取引はしない」と口を揃えるものの、他ならぬ大手証券会社の社長である近藤氏が「(ブロックオファーに関して)自己売買のルールがなかった」と明言している。
かつての損失補填然り、此度の相場操縦然り。証券会社には、「ルールの隙間を巧みに利用して益を生み出す体質が土壌にまで沁みついている」と受け止められても仕方がない……のかもしれない。