消えた兜町人(2) 大暴落の歯止め役を買って出た「火中の栗を拾う男」

千葉 明
2023年12月20日 12時00分

《東京証券取引所が立つ日本橋・兜町。かつての活気は、もうない。だがそこは紛れもなく、日本の株式取引の中心地だった。兜町を見つめ続けた記者が綴る【兜町今昔ものがたり】》

 日興証券(現・SMBC日興証券)の元常務、前原操氏。2013年に78歳で逝去。その訃報に接した折り、私は「兜町で一時代を画した男が死んだ。二度と、あんな男は兜町に現れない」と心底思った。「火中の栗を拾う男」「相場師」を痛感させられる、そんな人物であった。

ブラックマンデーの舞台裏

 1987年10月20日。前原が川崎市の自宅に戻ったのは午前零時を回っていた。待ち構えていた奥方が、「12チャンネル、それに産経、読売、日経から電話がありました」と告げた。

 ピンときた。「ニューヨークがよくないな」

 前週の後半、ニューヨーク株式市場は3日間で261ドル余り下げていた。そのため兜町も、月曜日(19日)のニューヨーク市場の動向に注目していた。

 だが前原は、「あ、そう」とだけ言って床に入った。

 午前5時を少し過ぎた頃、日経の顔見知りの記者の電話に叩き起こされた。「500ドル以上も下げています。ニューヨークが……大暴落です」。500ドル超は、前原も想定外だった。

 東京市場への影響を問う声に、前原はこう言い切った。

「日本も大きく下げるだろうな。でも、俺は確信する。日本が必ず“歯止め役”になると。もし日本が一緒に奈落の底に突っ込んだら、あとはもうドミノ倒しだ。世界恐慌に一直線だよ。俺は兜町の住人として、そんなことは絶対にさせちゃいかんと思うし……させない」

「我々で買おうじゃないか」

 20日の株式市場は、売り一色で始まった。代表銘柄が次々に売り気配を切り下げ、前場はほとんど株価がつかない状態だった。

 昼。急遽、証券大手4社の株式部長会が、大蔵省役人も同席の上で開かれた。そこで何が話し合われたかは公にはされていない。だが、参加者の一人からこう聞いた。

「『歯止めをかけなくてはいけない』で全員の認識は一致していた。口火を切ったのは前原さんだ。『我々で買おうじゃないか。とにかく値段をつけないことには話にならない。買いをぶつけなくては、売り気配は下がる一方だ。放っておいたら売りが売りを呼んで、相場は崩れてしまう』とね」

 後日、前原に聞くと、「当たり前のことを言っただけだよ」と返ってきた。

 20日の後場。日興証券兜町ビル5階にあった株式部フロアで、前原は仁王立ちになって株価ボードを睨みつけていた。突如、大声で叫んだ。「帝石の売り物はなんぼあるんだ!?」。その答えを待たず、再び叫ぶ(*帝国石油。現INPEX)。

「値をつけろ! 必要なだけ買いをぶつけろ! 急げ!!」

 直後、帝石が980円で寄り付いた。東証の立会場に、期せずして拍手が起こる。これが号砲となった。野村證券の買い出動で、新日鉄が395円で寄った。前原は「よし!」と叫び、続けて「NKKの値段をつけろ! 買え!」と声を張り上げた(*日本鋼管。現JFEエンジニアリング)。

 日興証券はこの日だけで、100億円余りの自己買いを行った。

 ニューヨーク市場の大暴落(のちに「ブラックマンデー」と呼ばれる)を受けたこの日、日経平均株価は3836円安で引けた。だが、とにかく値がついた。その安心感が、翌日の2037円高を促した。

「相場はロマン。ロマンには大義がいる」

 それから数日間、マスコミはこぞって「それ見たことか」と言わんばかりの報道を続けた。「大暴落は狂乱の財テクブームへの強烈な警鐘か!」と。

 そんな中でも前原は平然と、マスコミの取材に応じていた。元日興証券の株式本部長で株式評論家の植木靖男氏が回想する。

「びっくりしたのは、前原さんは『絶対に戻ります。ただ当面は不安定な揉み合いは覚悟しなくてはならないから、こういう場面は仕手株で幕間を繋ぐことになるでしょうね』としゃべった。後にも先にも、4社の株式部長でテレビカメラに向かって『仕手株で』なんて言ったのは前原さんだけですよ」

 前原本人に聞いてみた。まず、20日の買い出動は怖くなかったのか。

「買いに向かった帝石がもし下がりっぱなしだったら……という思いはチラッとくらいは頭に走ったよ。でもね、俺は確信犯は嫌いじゃない。いや、好きな生き方だ。相場はロマン。ロマンには確信、大義名分が絶対いる。世界恐慌を避けるために、と思って怖さを吹き飛ばした」

 仕手株云々については。「なんで俺がいの一番に帝石の値をつけに向かったかと言えば、値動きの軽い銘柄だったからだ。ある種、仕手株っぽいんだよ」

「相場が張れればどこでもいい」

 前原の兜町生活35年余りは、必ずしも陽の当たる生活ばかりではなかった。左遷人事も一度、二度。原因は持って生まれた性分、といった見方も多かったが、当の本人は馬耳東風。「俺はどこでも、相場が張れればいい」

 菱光証券(現・三菱UFJモルガン・スタンレー証券)に出向した際には、「もう戻れないんじゃないの?」という声にも見送られた。役職は株式部長。だが前原は、「随分面白かった」と懐かしそうに振り返った。

 着任当時、全証券会社(約250社)中56位だった菱光証券の株式売買取扱高は、前原が日興証券に戻る直前には26位に上昇していた。

「大手の尻馬に乗ったってなんも面白くない。だが、相場を仕掛ける初期段階では、自己売買が必要。菱光の自己売買資金は1億円弱だった。資本金の小さい小型株でやる以外になかった」

 前原が実際に仕掛けた銘柄に、新電元と宮地鉄工がある。「誠備事件」の加藤暠も手掛けた銘柄だ。前原曰く、「俺は加藤と一面識もない。そもそも2つとも俺が先に手掛けたわけだし。ただ、加藤には俺と同じ見方、発想法があったのかもしれんな」。

《参考記事》相場師か、投資コンサルタントか。兜町を騒がせた伝説の「歩合外務員」がいた

 宮地鉄工は90円余りで手掛け始めて200円余りまで、新電元は120円付近から270円近くまで仕上げた。そのときの前原の言葉が忘れられない。

「悔しいね。俺より若い加藤のほうが残したパフォーマンスが大きいわけだから。まあ、俺は刑務所には行かなかったけどね」

 前原の相場づくりには、是非論があろう。だが、「自らの相場観」を外に向けて発信しない昨今の株式部長(大方は「エクイティ部長」と称するらしい)より、私は前原に「兜町のにおい」を強く覚える。

[執筆者]千葉 明
千葉 明
[ちば・あきら]東京証券取引所の記者クラブ(通称・兜倶楽部)の詰め記者を振り出しに、40年以上にわたり、経済・金融・ビジネスの現場を取材。現在は執筆活動のほか、講演活動も精力的に行う。『野村證券・企業部』『ザ・ノンバンク』『円闘』など著書多数。
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