独自の勘ピュータでバブル崩壊を予見した男が語る「相場は正直」の意味

千葉 明
2024年2月29日 10時00分

《東京証券取引所が立つ日本橋・兜町。かつての活気は、もうない。だがそこは紛れもなく、日本の株式取引の中心地だった。兜町を見つめ続けた記者が綴る【兜町今昔ものがたり】》

バブル相場に疑問を呈した男

 私が知る限りでは、1989年12月30日の日経平均株価の史上最高値38,915円をつけるに至ったバブル相場に「?」を公に呈した兜町の住人が一人いる。日本経済新聞の「大機小機」欄(日付までは覚えていないが)に、「株価の異常な上昇を牽引しているのは、過度な先物買い。実際に利益を享受している投資家は皆無に等しい。疑問を感じる」と記した男である。

 当時スミス・バーニー証券の常務取締役東京支店長だった故・伊藤稔。1987年7月には、「秋にかけ2万円トビ台への反落も」と題する記事を日経ビジネス(1987年7月20日号)に書いていた。当時の相場は6月17日の25,929円をピークに調整色を強め、伊藤が先の原稿を記した時点では24,000円余まで下がっていた。証券界は総じて「そろそろ底だ」と反発のタイミングを探し始めていた。

 私は取材に出かけた。伊藤は「確信はあった」としながらも、「僕は評論家ではない。営業部隊を引っ張る東京支店長。親玉が公に『暴落もありうる』としたのでは現場が動揺しないだろうか、と迷う気持ちはあった」とした。だが、書いた。そして、スミス・バーニー証券は7・8月の自己買いを手控えた。

「確信があった」とする根拠を問うた。「うちの日経平均のシミュレーションシステムが、適正価格を20,752円と示していた。経常収支の黒字幅の動向や指標国債の平均利回り、あるいは上場企業の経常利益動向、それに経常利益と国債利回りの相関関係、このあたりの推移を変数として作った方程式があり、これをコンピュータに入れると妥当株価が出てくる。その結果が20,752円だった」

 伊藤は私の顔色を窺うようにし、こう付け加えた。「システムを100%頼りにして相場と対応しているわけじゃない。もしそうなら、僕なんか必要なくなっちゃうから。システムの試算を最終的に判断するのは……最後は、僕のこれまでの兜町生活で身につけてきた〝勘〟かな」

勘ピュータができるまで

 伊藤稔は、野村證券を入り口に、モルガン銀行を経て、シティグループの1社だったスミス・バーニー証券常務に至った足跡を有している。

 その〝勘ピュータ〟の礎は何だったのか。伊藤はこう語る。「(1987年5月14日に)指標債利回りがザラ場で2.5%まで下落(債券価格は上昇)した債券相場の天井だね。これを機に僕は、(株の)手仕舞いのチャンスを探していた」。以降、債券市場は売り込まれた(債券利回りはここから8月7日の5%まで急騰している)。

 伊藤のこの「指標債利回り2.5%=債券相場ピークアウト」観は、かつての英米での債券相場のピークアウトから学んだ経験則だったという。だから「これだけ債券相場が暴落しているのに、株式市場だけ高いというのはおかしい」という勘ピュータが働いたのだ。

 だが、相場の一寸先は闇。伊藤の暴落予想が日経ビジネスに載った数日後、株価は22,702円で底を打ち、急激な反発に転じた。8月には6月高値の25,929円をクリア。兜町が活気づくとともに、伊藤への風当たりは強くなった。伊藤は沈黙した。

 後日、こう打ち明けた。「危機感が本格的になりだしたのは、相場が戻り始めてからだった。債券市場から逃げた資金が株式市場に流れ込んできた。債券市場は閑散とし、買い手がないまま利回りだけが上昇を続けた。これを受けて金融市場の実勢金利も上がり、公定歩合の引き上げ感さえあった。にもかかわらず株だけが……日増しに異常さだけが強くなっていった」

 決して強がりではなかった。10月15日にも「株売り、債券買いがベストの選択」と日経のコラムに記した。原稿を書いたのはその前日、6月17日の大暴落前高値を上回る26,646円で引けた日である。そして5日後の10月20日、ニューヨーク市場の大暴落を受けて東京市場は3800円余り下落。11月11日の21,036円まで、10月高値から22%近くも急降下したのである。

「相場は正直ですよ」

 伊藤は言った。「相場は正直ですよ。株は債券と同様の下落率を示したんですからね」。そして、次のように言及した。「基軸通貨国であるアメリカの債務国家化で、プラザ合意後の世界経済は大きく変わった。国際協調という名目のもと、日欧の金利低下政策⇔内需拡大⇔アメリカの輸出力回復が大前提になった。それまでの大前提に変調が生じたのだから、経済の鏡である株式相場はそれを映すのは当たり前」

 無論、伊藤とて「神様」ではないし「10戦10勝」の常勝将軍ではない。本人曰く「随分、失敗している」。「野村時代から四半世紀以上、兜町で飯を食っている。でも、勝負に出て被った失敗ほど、身になる。生意気を言うけど、要は、なぜ失敗したかを頭に叩き込んでおくのが肝心。相場の勝負は『失敗の経験の記憶力』も大きなポイントだと思っている」

 1990年大発会の日。当時人気だった株式評論家が二人、朝のテレビ番組に出演し、「大発会のご祝儀なんかなくても、今日も高く始まるだろう」とコメントしていた。兜町では、「当面の日経平均は5万円が目途」という声が支配的だった。

 ここで、自慢話を一つさせてもらう。1990年1月4日の朝、私は日本短波放送(現・ラジオNIKKEI)のマイクに向かい、「転換点になる公算が高い」と述べた。その論拠は、冒頭にも記した伊藤のコラムだった(編集部注:この日を境に日経平均株価は下落に転じ、バブルは崩壊した)。

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[執筆者]千葉 明
千葉 明
[ちば・あきら]東京証券取引所の記者クラブ(通称・兜倶楽部)の詰め記者を振り出しに、40年以上にわたり、経済・金融・ビジネスの現場を取材。現在は執筆活動のほか、講演活動も精力的に行う。『野村證券・企業部』『ザ・ノンバンク』『円闘』など著書多数。
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