【株と平成と私】繰り返す暴落を生き延びた投資家が思う「令和へ」の期待

山下耕太郎
2019年4月26日 8時00分

 

平成は暴落の歴史だった──そう語るのは、次々と株式市場を襲う暴落の中でキャリアを築いてきた個人投資家。「株は下がるもの」という教訓を嫌というほど得た平成を生き抜いて、令和の時代に何を期待するのでしょうか。

平成の日本株は暴落の歴史

平成の時代が終わろうとしています。私が証券会社に入社したのが平成9年(1997)なので、約22年間、株式市場との関りを持っています。この平成の時代で、株式市場で印象に残った出来事や銘柄について書かせていただきます。

平成の株式市場の動き

現在の景気は実感としては乏しいものの、平成24年(2012)からのアベノミクス相場で緩やかな景気回復を維持。株式市場も世界経済の不透明感があるものの、日経平均株価は2万円台をキープしています。

戦後最長レベルの景気拡大期となっていますが、株式市場から平成を振り返ると「失われた30年」といってもいいでしょう。

日経平均株価は平成元年(1989)の38,915円87銭をピークに暴落に転じ、平成2年(1990)10月には2万円割れと、わずか9カ月あまりで半値近い水準まで暴落しました。

その後も下落は続き、平成21年(2009)3月には、リーマンショックの影響もあり、7,054円とバブル後の最安値を更新。

その後は、平成24年末のアベノミクス相場で上昇に転じていますが、ピーク時からは半分程度の位置にいます。米国や欧州など他の先進国がリーマンショックの傷から立ち直り、過去最高値を更新しているのとは大きな差があります。

株は長期で保有するもの」という欧米では当たり前の株式投資の理論が、日本の平成の時代では通用してきませんでした

私の株式市場との関わり

株式市場と関わりと持って20年以上になりますが、振り返ると、やはり下げ相場というか、暴落のイメージが強く残っています。

私が証券会社に入社したのが平成9年(1997)、アジア金融危機の時期でした。国内でもバブル処理が続いていて、山一證券や三洋証券、日本長期信用銀行(長銀)、北海道拓殖銀行(拓銀)など大手金融機関が次々と倒産し、金融危機の様相を呈していました。

日経平均株価も2万円を割り込み、当時のバブル後の最安値を更新。15,000円を割り込んだのです。

おかげで「株は下がるもの」という意識が刷りこまれましたが、逆にリスク管理を徹底するようになったので、結果的には良かったと思います

ITバブル崩壊

しかし、その後はネットバブル。特に印象に残っているのはヤフー<4689>です。同社が上場したのが平成9年(1997)11月、私が営業1年目の時です。IPOでヤフー株を顧客に配分しましたが、正直、あまり期待はしていませんでした。

当時は、今のようにIPOの人気が高くなく、公募割れする銘柄も多かったからです。もちろんヤフーは注目されていたので、利益は出ると見込んでいましたが、公募価格70万円に対して初値が200万円。3倍近くの値段となったので喜んで売却しました。

しかし、インターネットの普及により平成11年(1999)ごろから株価は急騰。平成12年(2000)1月には1億円を超え、2月に1億6789万円の高値をつけたのです。

米同時多発テロでのオプション価格

営業やアナリストなどを経て、私がディーラーになったのが平成13年(2001)10月。前年にネットバブルが崩壊して下落相場となっていました。同年9月には米同時多発テロが発生。日経平均株価は1万円の大台を割り込むことになったのです。

株は下がるもの」という概念が強い時期でしたので、下げ相場でも利益を狙える先物・オプションのディーラーになりました。

しかし、米同時多発テロでは、1円だったオプションのプレミアム(価格)が200円近くまで暴騰。オプションの売りは、一瞬で破産する可能性もあることを実感し、ここでも「リスク管理」の重要性を学びました

不動産流動化銘柄とJ-REIT

平成15年(2003)5月、りそな銀行の実質国有化により金融機関の不安が払拭され、平成18年(2006)にかけて再び日経平均株価は2万円を目指す展開になりました。

同年11月には戦後最長の好景気であった「いざなぎ景気」を超えます。日銀が平成13年(2001)3月から行っていた量的緩和により、銀行や不動産株が上昇。この時期に記憶に残っているのはケネディクスなど不動産流動化銘柄です。

さらに、平成13年(2001)9月にスタートしたJ-REIT指数も金融緩和で大きく値上がりし、平成15年(2003)3月には1,000ポイント程度だった東証REIT指数(配当込み)が、平成19年(2007)にかけて3000ポイントに達するなど、株式市場を大幅に上回るパフォーマンスを出していました。

リーマンショック

個人投資家として独立したのが平成18年(2006)。当時は日経平均株価も2万円近くまで上昇していましたが、平成19年(2007)のサブプライムローン危機から翌年のリーマンショックまで再び暴落相場となりました。

それまでにも暴落は何回か経験していましたが、リーマンショックの下落は規模が違いました。過去の日経平均株価の下落率トップ10を見ると以下のようになります。

トップは昭和62年(1987)のブラックマンデー時の−14.90%ですが、2位はリーマンショック時の−11.41%です。5位~7位もリーマンショック時の下落であり、この平成20年(2008)10月は10%近い暴落が繰り返し起こりました。

私自身は先物・オプションをメインに取引していたので下落相場には強かったのですが、さすがにオプション価格も暴騰し、プレミアムが高すぎる状態で、しばらくまともに取引できませんでした。

アベノミクス相場

その後、株式市場は長らく低迷していましたが、平成24年(2012)12月の第2次安倍政権発足によるアベノミクス相場により、日経平均株価が2万円を超えるまでに回復しました。

やはりアベノミクス初期は、日銀の異次元の金融緩和もあり、個別株の上昇もすごかったです。ただ、どの銘柄というよりは、株式市場全体が浮上するような感じでした。

株と平成を振り返って

以下のように、私にとっての節目には、株式市場の暴落が起こってきました。

  • 平成9年(1997):証券会社入社──アジア金融危機から翌年のロシア金融危機
  • 平成13年(2001):ディーラーになる──米同時多発テロ
  • 平成18年(2006):独立して個人投資家に──翌年のサブプライムローンからリーマンショック

平成の時代は「暴落の歴史」といってもいいでしょう。しかし、欧米の株式市場は数々の金融危機を乗り越えて史上最高値を更新しています。

今後は日本の株式市場でも、経済・金融危機などで株価が下がることがあっても、力強い回復を見せてくれることを期待しています。危機のたびにバブル後の最安値を更新するのは、平成の時代で終わりにしてほしいものです

[執筆者]山下耕太郎
山下耕太郎
[やました・こうたろう]一橋大学経済学部卒業。証券会社でマーケットアナリスト・先物ディーラーを経て、個人投資家に転身。投資歴20年以上。現在は、日経225先物・オプションを中心に、現物株・FX・CFDなど幅広い商品で運用を行う。趣味は、ウィンドサーフィン。ツイッター@yanta2011 先物オプション奮闘日誌
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