個人投資家から人気を集めるIPO その始まりは? 日本初のIPOは? 今昔を振り返る

千葉 明
2023年12月11日 12時00分

《東京証券取引所が立つ日本橋・兜町。かつての活気は、もうない。だがそこは紛れもなく、日本の株式取引の中心地だった。兜町を見つめ続けた記者が綴る【兜町今昔ものがたり】》

 IPO新規株式公開)。その数は、コロナ禍に晒された2020年は93社に留まったが、翌21年には125社にまで回復。22年は91社。そして今年は、96社の上場が予定されている(いずれの数もTOKYO PRO Marketを除く)。

 昨今、市場ではこんな指摘が高まっている──「上場初値が度を越した状況は回避すべき。そのためには公開価格も抑えるべき。小さく生まれて大きく育つことこそ肝心」。だが一方で、「IPOの初値売りのパフォーマンスは40〜96%」というデータの類いが独り歩きしているのも事実。

 そんなIPOの「今昔」を覗いてみたい。

IPOはあの会社から始まった

 まずは、その歴史。現代のIPOに近いとされる入り口は、オランダ東インド会社。高校時代の世界史の授業で、こう教えられた。「17世紀から18世紀にインド以東のアジア地域貿易を特権的に行うことが認められた。18世紀入り以降は貿易と同時に、植民地支配の役割も担った」。

 そんなオランダ東インド会社が目論んだ、「世界制覇」の資金調達のために株式の一定数を一般公開したことが、IPOの始まりとされる。当時の通貨で6500万オランダ・ギルダーを調達。オランダの目下の通貨はユーロ。比較のしようもないが、同社の200年の歴史における平均配当率は、資本金の約18%だと言われている。

 アメリカの場合はどうか。最初のIPOはアメリカ独立戦争最中の1781年。イギリスの植民地13か国が1775年に仕掛けた戦いで、その中軸となったのがアメリカだった。76年にアメリカ合衆国が独立を宣言。フランスの支援などもあり独立軍が勝利し、83年のパリ条約で独立が承認された。そんな歴史の中で、81年に北アメリカ銀行が1株400ドルで一般公募。これがアメリカ初のIPOとされ、およそ10年後のニューヨーク証券取引所設立の礎となった。

 ただ、ニューヨーク証券取引所のIPOの歴史はこれ以降、必ずしも順調ではなかった。ひとくちに言えば、今日のIPOとは「真逆」の構造だった。「将来有望」と思われる市場に籍を置いていた起業家(今流に言えばスタートアップ企業)は、投資家にとり魅力となる「実際の収益力をつける/上げる」前でも上場できたからだ。

日本のIPOの歴史。上場第1号は?

 では、日本の場合はどうか。

 1878年(明治11年)6月1日、東京株式取引所が営業を開始。明治政府はいわば「産業革命(工業国家)」を目指していた。新しい産業を興すには資金(資本)が必要だった。一方、明治政府が歩を進める道に賛同し、新しい産業に投資したいと考える富裕層がいた。両社を結びつける場として、東京株式取引所が設立された。

 だが、東京株式取引所という呼び名は、正確ではない。そこで取引された証券は株式ではなく、債券。実質上は「公債売買取引所」としてスタートしたのだった。

 実際に取引されていた債券は「旧公債」「新公債」「秩禄公債」。どんな債券かは各自お調べいただくとして、興味を引かれるのは秩禄公債。徳川幕府の倒壊で士農工商のうち「士(武士)」は収入の糧を失った。明治政府がそれを穴埋めするために発行したのが秩禄公債だった。新政府は「公債の利息分で生活を成り立たせてほしい」と銘打ったようだが、こんな逸話が残されている。

 旧武士は、「とてもじゃないが、それでは生活は成り立たない。公債を売却し、換金して生計を成り立たせるための仕事の原資としたい」と求める。対して明治政府は、「西南戦争で一応は収まったかに見えるが、旧武士団の新たな反乱の種を蒔くわけにはいかない」。そこで、秩禄公債の換金の場となる取引所の創設を急いだ……という。

 いささか横道に逸れてしまったが、日本で真のIPOが具体的に実現したのはいつかと言えば、1878年7月15日。東京株式取引所に、他ならぬ東京株式取引所が上場した。国内第1号のIPOである。この年の末には第一国立銀行、兜町米商会所、蛎殻町米商会所が上場している。

第1波で上場した世界的企業

 さて、国内初のIPO相場の実態はどうだったか。

 東京株式取引所は、今で言う公開価格100円に対して初値136円で寄り付いたが、それは上場から2か月が過ぎた9月のことだった。凄まじい人気で買い気配が切りあがり続けて取引が成立せず……というわけではない。当時の立ち合いは月に2日だけだったから、という理由だ。結局、この年に上場した4銘柄の年内の出来高は154株に過ぎなかった。

 表現はともかく、日本のIPOは寂しいスタートだったのである。ただ兜町筋には、こんな見方をする声も聞かれる。「東京株式取引所株は戦前の株式市場を目撃し続けた代表株。言い換えれば、東京株式取引所株をウオッチして動向をチェックしていれば、相場への対応が容易だった。そう、現在の日経平均同様の“指標銘柄”だったというわけだ」

 時は流れ、戦後のIPOの盛り上がりはどんなタイミングで始まったのか。それは、「高度経済成長期(1955年~1973年)」が引き金だった。1961年10月に東証2部市場が誕生。その後、3年間で約600社が上場している。1年換算で200社だ。昨今のIPO数をも上回っている。

 例えば、現在のソニーグループ(旧・ソニー)の上場は1958年12月。他にも、のちに世界的な大企業に成長する中堅企業の多くが、戦後のIPOブーム第1波で証券市場の門を叩いている。

[執筆者]千葉 明
千葉 明
[ちば・あきら]東京証券取引所の記者クラブ(通称・兜倶楽部)の詰め記者を振り出しに、40年以上にわたり、経済・金融・ビジネスの現場を取材。現在は執筆活動のほか、講演活動も精力的に行う。『野村證券・企業部』『ザ・ノンバンク』『円闘』など著書多数。
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