平成バブルと並んだ令和の日本株 その実態を3つの視点から読み解く
《バブル期の記録を抜いて、ついに史上最高値を更新した日経平均株価。長年相場を見つめてきた人々は、いま何を思うのか。それぞれが見つめる、日経平均株価の未踏の地──【特集・日経平均株価、次のステージへ】》
2024年2月22日、日経平均株価はついにバブル期の1989年12月29日大納会につけた史上最高値を更新しました。
34年ぶりの高値更新に市場関係者のみならず、ニュースなどでも株式市場の話題が相次いでいます。しかし、平成バブルの時代と令和の現在では指数こそ同水準に接近しましたが、経済の環境などは大きく変化しました。昔と今を比較しながら、それぞれの違いについて考えてみたいと思います。
金融政策の今昔
バブルの発生要因については諸説ありますが、低金利によるカネ余りも原因のひとつとされます。特に1985年9月に米ニューヨークのプラザホテルで行われた先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議、いわゆる「プラザ合意」が、日本の平成バブルのきっかけのひとつだとも言われています。
このときに決定したドル安政策が円高に繋がり、円高が輸出企業の業績を下押ししました。そこで、景気を支えるために日銀は低金利政策を進めました。日銀の公定歩合(政策金利)は、83年10月の5.0%から87年2月の2.5%まで段階的に引き下げられました。
そして実際、その後、日本の景気は大きく加速しました。しかし、相次ぐ利下げにより、不動産や株式市場に資金が流入して地価は高騰。庶民のサラリーマンが家を買えなくなったといった批判が出て、利上げによって景気の過熱感を抑えるべき、との意見もありました。
しかしながら、87年にアメリカでブラックマンデーが発生したこともあり、日銀の利上げは遅れてしまいます。結局、利上げに転じたのは89年。5月に0.75%、10月に0.5%、12月に0.5%と、大きく金融引き締めに転じました。翌90年にも2回の利上げを行い、政策金利は6.0%にまで引き上げられました。
利上げに転じる直前の89年4月には、日本で初めての消費税(3%)が導入されています。これが、景気の下押し圧力となったのです。景気がすでにピークを迎えていたところに金融引き締めを行った結果、その後の不動産価格や株価に大きな影響を残すこととなりました。
こうして、日経平均株価は89年末を最高値に、下落に転じてゆくのです。
マイナス金利はいつ解除されるか
振り返って現在の金融政策を見てみると、政策金利に相当する無担保ローン金利の翌日物は、2月末時点でマイナス0.1〜0%。日銀は、マイナス金利〜ゼロ金利政策を続けています。また、国債の買い入れなどによる金融緩和も継続しています。
直近の日銀の展望レポート(1月)では、「わが国の景気は緩やかに回復している」としつつも、「海外の物価動向、企業の賃金などの不確実性が高い」状況であるとしており、景気の過熱にはほど遠い状態と言えます。
日銀は、春闘の結果を見て賃上げが十分であれば、4月にもマイナス金利の解除に踏み切るとの観測も出ています。ただ、その後、継続的に金利を引き上げられるような状態には、日本経済はまだ達していません。
このように平成と令和の金融政策を巡る状況は、大きく乖離していることがわかります。
時価総額上位銘柄の今昔
平成バブルの頃、東証の時価総額上位は、ほぼ内需株でした。
首位はNTT(日本電信電話)<9432>で、以下、みずほフィナンシャルグループ<8411>の前身である日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行、三菱UFJフィナンシャル・グループの前身である三菱銀行など、通信・銀行株が上位を占めていました。
当時の銀行は、預金金利や手数料などを大蔵省(現・財務省)が指導する競争のない〝護送船団〟方式だったこともあり、高金利や好景気で業績が伸びていました。
また、1985年に大口定期預金が自由化されました。金利を通常の定期預金よりも高く設定できる大口定期預金の最低預け入れ額は、当初10億円と設定されていましたが、この自由化により89年には1000万円から預け入れが可能になり、広く消費者からも資金を集めることができるようになっていました。
88年には国際決済銀行による自己資本比率規制(BIS規制)が変更され、保有する株式などの値上がり益を含み益として自己資本に算入できるルールも、銀行株の上昇につながりました。さらに、担保としての不動産価格の高騰も株式市場では評価されていたのです。
NTT株を巡る狂騒
当時の時価総額首位のNTT株は、世界の時価総額首位でもありました。平成バブル期のNTT株を巡る熱狂はしばしば、投資家の意欲を表すエピソードとしても語られます。
85年に日本電信電話公社から民営化したNTTは、政府の財政再建のため87年に株式を上場し、売り出しを行いました。この頃の日本は株高や投資ブームに沸いていました。また、「政府の株の売り出しで損をするはずはない」との思惑や証券会社の営業攻勢もあり、多数の申し込みがありました。
1回目の売り出し価格は119万7000円でしたが、87年2月の上場時は買い注文が殺到して当日は値がつかず、翌日に160万円で初値がつきました。売り出し価格に対して約33%の値上がりです。そのわずか2か月後には上場来高値の318万円まで値上がりしたことを考えると、相場の強さがよくわかるでしょう。
1000万強の人々が申し込み、165万人が株主となり、大きな利益を得たわけですが、株式市場への関心がさらに高まるきっかけとなったのは間違いありません。
国際優良株が並ぶ令和のランキング
これに対して令和の現在、時価総額の上位に名を連ねるのはトヨタ自動車<7203>や三菱UFJフィナンシャル・グループ<8306>、東京エレクトロン<8035>、キーエンス<6861>など。いずれもグローバルに稼ぐ国際優良株です。
日本の輸出額の大きな割合を占める自動車や半導体製造装置、FA(工場自動化)センサーといった日本の強みを活かして世界各国で稼いでいる企業が上位に入っていることからも、バブル時代とは大きく様変わりしていることが読み取れます。
株主構成の今昔
平成バブル期と現在のもうひとつの大きな違いは、株主構成です。
なかでも大きく変化したのは海外投資家の割合で、1989年に約9%だったのが、2022年には30%にまで大きく上昇しています。平成バブル当時は日本株の投資経験がある海外投資家が少なかったこともありますが、市場改革や企業のグローバル化によって、徐々にその率は高まっていきました。
一方、金融機関はかつての41%から、現在は30%程度まで比率を落としています。1970年代のオイルショック以降、株式や社債の発行などにより、企業が銀行からの借り入れで資金調達をする割合が相対的に低下し、代わりに、取引関係を補強するため銀行が企業の株を持つ動きが広がりました。
しかし、2000年代以降に銀行が保有する株式の額に制限が加えられたことや、持ち合い株の売却と買い付けを同時に行う会計上の益出しが不可能になったこともあり、持ち合いの解消が進められています。
個人投資家の割合は、かつての22%から現在は18%程度と、やや比率を落としています。海外投資家の台頭や、バブル崩壊後の下落相場で個人は基本的に売り越す基調が多かったことなどが要因です。
今年から新NISAが導入され、株式投資への関心も高まりつつありますが、投資先の上位は海外のインデックスファンドなどで、日本株への関心はそこまで高まっているわけではないようです。
株式投資にも温故知新を
金融政策、時価総額上位銘柄、そして株主構成という3つの観点から、平成バブル期と現在の相場の違いを探ってみました。指数(日経平均株価)の水準こそ同じですが、日本株を取り巻く環境そのものが大きく異なっているため、史上最高値の更新=株式相場の過熱、とは言えないでしょう。
メディア等でも報じられているように、日本企業の収益力の向上や東証の市場改革による資本効率の改善期待など、日本株の買い材料はかつてよりも豊富になっています。
平成バブルだけでなく、ITバブルやリーマンショックを引き起こした住宅バブルなど、相場や経済を取り巻く歴史には非常に多くの学びが詰まっています。そこから得られる知識には、今後の投資に活かせる点も多々あります。
日経平均株価が4万円台という未知の領域へ乗り出す今こそ、過去に目を向けてみるのも面白いのではないでしょうか。
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