「ネット証券はすでに崩壊している」 業界を先導してきた証券会社の革新と蛮行
《東京証券取引所が立つ日本橋・兜町。かつての活気は、もうない。だがそこは紛れもなく、日本の株式取引の中心地だった。兜町を見つめ続けた記者が綴る【兜町今昔ものがたり】》
7月、三井住友フィナンシャルグループがSBIホールディングスの第三者割当増資を引き受け(約769億円)、約10%を保有する実質上の筆頭大株主となった。その理由は明白。ネット証券分野の強化だ。
三井住友FGは2009年に米シティグループから現・SMBC日興証券を取得し、証券業務に本格的に乗り出した。だが時代はいま、ネット証券に大きく舵が切られようとしている。対面主体のSMBC日興証券の顧客層は、50歳代以上が主力。対してSBI証券の顧客は約4割が、これからを担う20~30歳代のネット世代。ネット証券参入は喫緊の課題と言ってもよい状況だったからだ。
ネット証券が証券市場に登場して、四半世紀余りが過ぎた。ネット証券は何故、どんな経緯を経て登場したのか。
先陣を切った松井証券の“蛮行”
ネット証券の枠組みを日本市場に持ち込んだのは、松井証券。松井証券の二代目社長・松井武氏の一人娘である千鶴子氏と結ばれ、入り婿となった松井(旧姓・務台)道夫氏だった。
社長を継いで1年余りが経った1996年の盛夏に、初めて会った。正直、言葉を交わすようになるまでは「異端児出現か!?」という認識しかなかった。そんな松井氏を取材したいと思ったのは「何故、証券会社に身を置く気になったのか」であり、「(常務時代に)何故あんな“蛮行”をやったのか」を知りたかったからである。
「蛮行ですか? 新しい時代に備えた社内改革のつもりで執った措置なのですが……」。そう言って松井氏は自ら指折り数え始めた。「年功序列制度の廃止」「退職金制度の廃止」「年俸制度の導入」「外交営業の廃止」「支店の廃止」「歩合外務員制度の廃止」etc。「こんなバカ婿の下で働けるか!」と、自分の客を連れて他の証券会社に移った者も相当いたという。だが、松井氏はこう言葉を継いだ。「ようやく証券界も3年近く先には大きな転換点を迎えるのではありませんか」
当時、「株式売買手数料の自由化」の詰めが急ピッチで進んでいた。約定代金絶対額別による固定化利率が廃止され、証券会社の裁量で決められる時代の実現が目と鼻の先(1998年10月施行)に迫っていたのだ。それに先立ち松井証券では、業界の「反発」の怒声が渦巻く中で、「保護預かり手数料無料化」「店頭株の売買手数料の半額化」に踏み切っていた。
それらを考えあわせれば、松井氏が松井証券の先行きをどう描いているかは容易に想像ができた。ネット専業証券への移行である。
手数料自由化で消えた証券会社
売買手数料の自由化は、確かに証券会社にとって大きな痛手となった。こんな事実が、それを如実に物語っている。
完全自由化(1999年10月)前の1999年3月期では、東証の取引参加者である証券会社の手数料平均は0.42%。これが2012年3月期には0.06%にまで下がっている。手数料自由化で東証への取引参加者は増え、売買代金は増えた。だが証券会社は、自由化による手数料率低下の大きな影響に晒された。2021年3月期の手数料総額は約2000億円と、1999年3月期のほぼ半分に減少している。
当時、すでにネット証券として始動していた楽天証券の社長・楠雄治氏は、「今では個人投資家の8割がネット経由で株を取引きしている」(2012年9月5日付・日経電子版)としている。
ネット証券の体制を整備するには、相応のコストが不可欠。中堅証券では生き残りを賭した合併が相次いだ。老舗証券の廃業にも出会った。
十字屋証券。1933年に故・安常三郎氏が創業。社名の「十字」は安氏がクリスチャンであったことに由来する。廃業は2012年3月。ネット証券の勢いが高まるのと同時に、2009年のリーマンショックの影響も、その背景としてあった。私にとっては兜町を取材していて、記憶に残る1社だった。部長・支店長クラスにはゴルフ会員権を買い与え、「理事会には資産家が集まる。理事になって関係を持て」と命じるなどの策で必死に戦っていた。
郵船卒業生が果たす役割
松井氏への初取材から数日後。兜町を歩いていたら、一台の車がハザードランプを点滅させて歩道沿いに止まった。松井氏がハンドルを握る車だった。窓を開け、「明後日の昼頃に会えるかな。昼食を用意してまっているから。話したいことがある」。その昼食の席で、私は時流に先行しネット証券時代に先駆けた松井氏に、ある種の「ドラマ」を感じた。
松井氏は日本郵船の出身。「郵船に骨を埋めるつもりだった」という。「それが何故?」という問いをキッカケに、こんな話を聞かせてくれた。
松井氏が定期船部門に異動した数年後の1984年。米レーガン大統領が自国の経済立て直しの一環として、新海事法案に署名した。これが、公然のカルテルだった「海上運賃同盟」崩壊のキッカケになった。海運業界は自由化の大波に襲われた。世界の定期船会社が被った赤字は年間1兆円。新興国や中国・ソ連の低コストの海運会社にシェアを奪われ、言い出しっぺのアメリカでは大手海運会社がなくなってしまった。
日本郵船も例外ではなかった。ドル箱だった北米3航路などは、年間200億〜300億円の黒字から、200億〜300億円の赤字に転落。北米課は月に150時間を超える残業を強いられ、悲壮感に覆われていた。欧州航路や豪州航路も赤字に転落。当時急速に拡大していた自動車船部門がなんとか穴を埋め、全体の黒字は維持していた。
松井氏は、そんな渦中に身を置いていた。妻からは唯の一度も「うち(松井証券)を継いでほしい」という言葉を耳にしたことがなかった。だが一緒に暮らすうち、証券界の感触・現状を肌身で感じるようになっていた。証券という世界は、経済の血液を担うはず。それが、こんな旧態依然とした保守的な存在でいいのか。そんな思いが芽生えてきた。
「『俺が変えてみせる』という気持ちが徐々に強くなっていった。言わば、大好きな郵船学校の卒業生の果たす役割だとね」
「ネット証券はすでに崩壊している」
現状でネット証券のランキングは、開設口座数でこんな状況。
- 1位:SBI証券
- 2位:楽天証券
- 3位:マネックス
- 4位:auカブコム証券
- 5位:松井証券
それぞれに個性を打ち出している。松井証券は1日の約定代金合計50万円までの売買手数料は「なし」と、小口向け顧客獲得に照準を合わせていることが窺える。
松井氏は2020年6月の株主総会で、社長の座を専務だった和里田聡氏に禅譲した。その際の記者会見で、こう語った。
「小さな証券会社をそれなりの会社にした自負はある。新しく始めたネット証券はアメリカの真似に過ぎないが、証券会社の外交営業を捨てたことが私にとっては一番だったと思う。古いものを捨てなければ新しいものは生まれない。だがネット証券のビジネスモデルは過当競争で、すでに崩壊している。AIやロボットなど想像もしていなかった変化が、今後も必ず起こる」
悩んだ結果が世代交代だったと説明し、こう結んだ。「以前在籍していた日本郵船の社長だった菊地庄次郎氏は、『企業の生命を延ばすためには経営者の見事な交代がなければ実現不可能』と言っていた。長年社長を務めているなかで、その通りだと思って決断した」